突然ですが本日をもちまして膳場岳人としての活動を終了いたします。それにともない、当ブログも今日限りで更新を終了いたします。
以後は下記のブログで活動を続けていきたいと考えております。
http://takehikominato.seesaa.net/
もしご興味のある方は引き続きよろしくお願いいたします。
長い間ご愛顧いただきましてありがとうございました。
「何を見てもCinemaを思い出す」と膳場岳人
完
2008年07月19日
2008年07月16日
野菜天国
昼夜逆転生活が続く。昨日は正午に寝て夕方六時に起きた。
筆者は基本的に早寝早起きというのが理想の生活だと思っていて、できれば古代より続く人類らしい健全なる一日の過し方をしたいのだが、なかなかそういうわけにもいかない。夜型生活は体調を崩しやすくなるし、そのせいかどうか、例年季節の変わり目などに軽い鬱状態に陥るのが常だったが、ここ一年程、経済状態の目も覆わんばかりの悲惨さの割に、精神的には落ち着いている。毎日のジョギングが奏功しているのかもしれないし、年をとっていろんなことがどうでもよくなってきたというのもあるだろう。もうひとつ、やはり食生活かなと。
早稲田に住んでいた頃、近所に弁当屋やコンビニ、立ち食いそば屋なんかが乱立していたため、調理が面倒になるとすぐにそれらの店に駆け込んでいた。今は、コンビニのめしなんてめったに買わない。金がないからというのが第一の理由だが、ここだけの話、江古田にたくさんあるサ○クスの弁当って殺人的にまずいのな。したがってほとんどが自炊となる。折に触れて実家の畑で自家栽培した野菜が大量に送られてくるので、食費がそれほどかからないのがまずありがたい。ピーマン、玉ねぎ、ジャガイモ、ナス、ゴーヤ、ニンニク、キュウリ、トマト。それがどっさり喰いきれないほど……結局喰いきっちゃうんだけど。
おかげさまで、こちらで肉や麺類を買いそろえておけば毎食それなりにバラエティに富んだ献立となる。ホイコーロー、ゴーヤチャンプルー、カレー、肉じゃが、甘味噌煮。どれもこれも簡単な料理ばかりだが、うまい。毎食たらふく食っている。これが心身両面に良い影響を及ぼしている気がするなあ。高校生のころ、よく自分で弁当作ってたんだけど、必ず入れていたのが焼きピーマン。ピーマンに塩、コショウと醤油をたらして焼いただけのもの(当時はみりんを使うという発想がなかった)。でもこれが子どもの時分から大好物だった。良く考えたらピーマンは宮崎の特産品なのな。あのつやつやした色合いとニガ味が、いかにも太陽光線を全身で浴びて育ちましたって感じがしてすばらしい。その生命力溢れるピーマンを、生命力溢れる感じの野蛮さで喰う。これぞ人間の原点。自然、五穀豊穣を祈念する気持ちも、大自然への感謝の念もわいてきますわな。
キュウリやトマトもうまい。ジョギングから帰ってきて、ひと風呂浴びてから、冷えたトマトにかぶりつく瞬間がたまらない。深夜、流しに立って、キュウリに塩振ってガジガジ齧りつくひとときがたまらない。ドレッシングなんかはあまり好きじゃない。塩とか、せいぜい味ぽんくらいのシンプルな味付けが好ましい。野菜と対峙する、って感じがするから。ゆうべ作った夏カレーも最高だった。ナス、ピーマン、トマトを強火でさっと焼いて、塩コショウと酒、ちょっぴりの和風だしで味付けして、市販のジャワカレーにのっけるだけ。ナスなんかは揚げたほうがウマイに決まってるんだけど、面倒だし油がもったいない。熱いトマトの汁とカレーのルウが融合して夏らしい風味を演出。うーん、美味。くそ、書いてて腹が減ってきた。そしていったい朝の九時半に何を書いているんだ俺は。
ともかく、同じような料理ばかり毎日続くが、ちっとも飽きは来ないし、地元の野菜をタダで食べられる自分はけっこう豊かな生活を送っていると考えていいんじゃないかと思う今日この頃なのだった。俺、もし大金持ちになることがあったとしても(ないけど)、毎日の食生活に関しては今のままで十分だな。ラーメン王もラーメン食い過ぎて亡くなっちまったしなあ。やっぱ菜食ですよ。草食系男子とかいう言葉を誰かが流行らせようとしているけど、俺としては菜食男という運動を推進したい。なんだよ男子って。
低迷続くドラゴンズ。北海道に行ってからやや持ち直してきた。やっぱ森野や井端の復帰が心強い。マサさんも200勝まであと3勝。今シーズンで達成できるかどうか微妙だけど、とりあえずひと安心。しかし上原が心配だ。にっくき読売ながらも心配だ。五輪代表には選ばれるんだろうから、五輪の間だけでも持ち直してほしい。って身勝手な要求。
筆者は基本的に早寝早起きというのが理想の生活だと思っていて、できれば古代より続く人類らしい健全なる一日の過し方をしたいのだが、なかなかそういうわけにもいかない。夜型生活は体調を崩しやすくなるし、そのせいかどうか、例年季節の変わり目などに軽い鬱状態に陥るのが常だったが、ここ一年程、経済状態の目も覆わんばかりの悲惨さの割に、精神的には落ち着いている。毎日のジョギングが奏功しているのかもしれないし、年をとっていろんなことがどうでもよくなってきたというのもあるだろう。もうひとつ、やはり食生活かなと。
早稲田に住んでいた頃、近所に弁当屋やコンビニ、立ち食いそば屋なんかが乱立していたため、調理が面倒になるとすぐにそれらの店に駆け込んでいた。今は、コンビニのめしなんてめったに買わない。金がないからというのが第一の理由だが、ここだけの話、江古田にたくさんあるサ○クスの弁当って殺人的にまずいのな。したがってほとんどが自炊となる。折に触れて実家の畑で自家栽培した野菜が大量に送られてくるので、食費がそれほどかからないのがまずありがたい。ピーマン、玉ねぎ、ジャガイモ、ナス、ゴーヤ、ニンニク、キュウリ、トマト。それがどっさり喰いきれないほど……結局喰いきっちゃうんだけど。
おかげさまで、こちらで肉や麺類を買いそろえておけば毎食それなりにバラエティに富んだ献立となる。ホイコーロー、ゴーヤチャンプルー、カレー、肉じゃが、甘味噌煮。どれもこれも簡単な料理ばかりだが、うまい。毎食たらふく食っている。これが心身両面に良い影響を及ぼしている気がするなあ。高校生のころ、よく自分で弁当作ってたんだけど、必ず入れていたのが焼きピーマン。ピーマンに塩、コショウと醤油をたらして焼いただけのもの(当時はみりんを使うという発想がなかった)。でもこれが子どもの時分から大好物だった。良く考えたらピーマンは宮崎の特産品なのな。あのつやつやした色合いとニガ味が、いかにも太陽光線を全身で浴びて育ちましたって感じがしてすばらしい。その生命力溢れるピーマンを、生命力溢れる感じの野蛮さで喰う。これぞ人間の原点。自然、五穀豊穣を祈念する気持ちも、大自然への感謝の念もわいてきますわな。
キュウリやトマトもうまい。ジョギングから帰ってきて、ひと風呂浴びてから、冷えたトマトにかぶりつく瞬間がたまらない。深夜、流しに立って、キュウリに塩振ってガジガジ齧りつくひとときがたまらない。ドレッシングなんかはあまり好きじゃない。塩とか、せいぜい味ぽんくらいのシンプルな味付けが好ましい。野菜と対峙する、って感じがするから。ゆうべ作った夏カレーも最高だった。ナス、ピーマン、トマトを強火でさっと焼いて、塩コショウと酒、ちょっぴりの和風だしで味付けして、市販のジャワカレーにのっけるだけ。ナスなんかは揚げたほうがウマイに決まってるんだけど、面倒だし油がもったいない。熱いトマトの汁とカレーのルウが融合して夏らしい風味を演出。うーん、美味。くそ、書いてて腹が減ってきた。そしていったい朝の九時半に何を書いているんだ俺は。
ともかく、同じような料理ばかり毎日続くが、ちっとも飽きは来ないし、地元の野菜をタダで食べられる自分はけっこう豊かな生活を送っていると考えていいんじゃないかと思う今日この頃なのだった。俺、もし大金持ちになることがあったとしても(ないけど)、毎日の食生活に関しては今のままで十分だな。ラーメン王もラーメン食い過ぎて亡くなっちまったしなあ。やっぱ菜食ですよ。草食系男子とかいう言葉を誰かが流行らせようとしているけど、俺としては菜食男という運動を推進したい。なんだよ男子って。
低迷続くドラゴンズ。北海道に行ってからやや持ち直してきた。やっぱ森野や井端の復帰が心強い。マサさんも200勝まであと3勝。今シーズンで達成できるかどうか微妙だけど、とりあえずひと安心。しかし上原が心配だ。にっくき読売ながらも心配だ。五輪代表には選ばれるんだろうから、五輪の間だけでも持ち直してほしい。って身勝手な要求。
2008年07月13日
『ハメ撮りの夜明け〜完結編』『セックスと嘘とビデオテープとウソ』(松江哲明監督)
『ハメ撮りの夜明け〜完結編』『セックスと嘘とビデオテープとウソ』(松江哲明監督)
またもや阿佐ヶ谷ロフトAで。前回のガンダーラ映画祭で見逃していた『セックスと嘘と〜』を見るのが目的。だがその前編的性格を持つ『ハメ撮りの夜明け〜完結編』がめちゃくちゃ良かったのだった。
AV監督のカンパニー松尾が、V&Rをやめてハマジムを立ち上げる過程を描いたのが、カンパニー松尾自身の監督作『ハメ撮りの夜明け』第一部・第二部らしい。で、三作目にして完結編となる本作は、立ち上がったばかりのハマジムの様子を松江監督がドキュメントした作品。2004年にCSで放映されたっきりで、ソフト化の予定もなしとのこと。貴重といえば貴重なんだけど、このままレア作品にしておくのはあまりにもったいないできばえだった。
……と、ここまできてハマジムって何?って方の疑問にお答えしましょう。
※18歳未満のよい子は見ちゃダメですよ!!!
http://www.hamajim.com/
……ご覧のとおり、AVメーカーでございます。以上。
ハマジムが立ちあがった時、WEBではいろんな論争が巻き起ったと記憶している。AV業界を革新する勢いだったハマジムの在り方をめぐって、何人かのライターさんが喧々諤々やりあっていた記憶がある。「AVとは何ぞや」みたいなかなり真面目な議題で。むかし俺が好きだった雑誌『ビデオ・ザ・ワールド』みたいだった。そういや筆者はその頃、ハマジムから出ている豊田道倫の音楽ドキュメント「映像集U」のレビューを「ロック画報」に書かせていただいたことがあって、一時期上記のサイトにもその文章が掲載されていたんですよ。ささやかな自慢。
さて、『ハメ撮りの夜明け〜完結編』は、現代版『人類学入門〜エロ事師たち』であり、新しい何ごとかをなそうとする男たちの熱い日々を追った「プロジェクトX」あるいは「ガイアの夜明け」であり、れっきとしたAVであり、同時にちょっぴり「痛み」を感じさせる青春セルフドキュメントでもあるのだ。ハマジム立ちあげのために集まった有志らはしばしば「俺たちはこういうことをやる」「俺たちはそうはしない」といった言葉を口にする。独立、起業、インディーズ魂、形容はなんでもいいけど、物作りにとりつかれた人々が「やってやろうじゃん!」と新しい何かを立ち上げていこうとする熱気が、松江監督のいつもながらの程良い被写体との距離感の中からムンムン漏れ伝わってくる。
やっとの思いで公式サイトを立ち上げて拍手が起きる場面とか、発売第一弾の商品が事務所に運び込まれて、堆く段ボール箱が積み上げられる場面とか、大手ビデオ販売店のラムタラからの注文を「商品管理が出来ないから」という口実を設けて断っちゃう場面とか、そのすべてに「何かが始まろうとしている」という清新な空気が張りつめていて、見ている方もわくわくしてくる。この「わくわく感」が最大の魅力。もうそれだけで最後まで押してもらってもいいくらいなんだけど、「AV」という名目で制作されているので、三人の女優さん(本当は四人だけどあえて三人ということにしておきたい)とカンパニー松尾の絡みも出てくる。
一人目は熊本の安い感じの素人のおねえちゃん。二人目は武田まこという単体女優。三人目が四条大橋子さんという、横浜生まれの京都の女子大生(上映後のトークショーで漫画家の渡辺ペコさんという方から、”彼女たちには言語が失われている”みたいな意見が出されたけど、四条大橋子さんは知性を感じさせる独特の言語を操っていたと思う)。絡みにもいろいろ個性があって面白いんだけど、何と言っても三人目の四条大橋子さんが、もうハメ撮りのために生まれてきたかのような最高のドMっぷりで、いちいち敬語使いながらアンアンとやられておるわけですよ。お尻とかベチーン! って叩かれながら。そら、こういう女性が嫌いな男ってあまりいないと思いますよ。
で、ハマジム創立後のてんやわんやや女優さんたちの絡みから、徐々に監督である松江哲明個人の問題へと視点が移されていくのだが、これあんまり書くと初見の人の面白みが半減するだろうから、あんまり書きたくない。たとえ見る機会があまりない作品だとしても。ただ少しだけ触れておくと、「ああー、『カレーライスの女たち』の時のあの子が……そうか……」とすごく痛ましい気持になるエピソードが出てくるのですよ。
「面白い人と出会ったとき、その気持ちにブレーキをかけたくない」って監督のテロップが出てくるんだけど、ブレーキをかけないことで、確実に傷つく人間が存在し、確実に失ってしまうものがある。それは「ハメ撮り監督」になるための通過儀礼であり、同時に、「大人の男」になるために乗り越えなきゃいけない「何か」なのだ。それはもう童貞を捨てるかどうかなんてレベルの話じゃない。まさに「生き方」の問題。自分の欲求を貫くためにどれだけ愛する人を傷つけることができるかって話。この「ブレーキ」って言葉、すごくわかる気がする。
だから『ハメ撮りの夜明け』を見る時は、『カレーライスの女たち』を先に見たほうが絶対にいいと思います。『ハメ撮り』に登場する「5年付き合った彼女」の意味合いが全然違うから。手を繋ぎ合うシーンの意味合いが全然違ってくるから。俺思わず女目線で「ひどいっ!」とか思っちゃったもん。きっと煩悶もドロドロもたくさんあったはずなんだけど、それが実にさらっと描かれる。このクールな感覚はやはり稀有だなと。
ちなみに『セックスと嘘とビデオテープとウソ』は、『ハメ撮り〜』の続編。そこでも『カレーライスの女たち』の女性との「その後」が描かれる。いやもうはっきり書いちゃうけど、この三本の作品の中で、「カノジョ」は「元カノ」になるの。だから俺はこれらの作品群は影の主役である「元カノ」の三部作だと勝手に思った。
私生活という舞台裏そのものが作品の底流にある連作ドキュメンタリーの場合(セルフドキュメンタリーはしばしばそういう形をとる)、それは「監督個人の歴史」あるいは「元カノの歴史」という物語込みで接せざるを得ない。むろん、それですら監督個人の意図や外部からの要請に基づいて編集された商品でありフィクションにすぎない。でも一人の監督のセルフドキュメンタリーの連作を見るって行為は、その監督の人生に客としてつきあっていく行為としか言えないんじゃないか、なんてことも思った。さらに言うと、あのブログや松江監督個人の発言その他を一切合財ないことにして、一本の作品そのものに厳粛な独立性を求めるなんてことは俺には無理だ。作品ですら一つのコマに過ぎないという、そういう鑑賞方法があっていいと強く思った。だって客をそう仕向ける作品であり方法論なんだもん。
話が右往左往しておりますが、諸々のドラマを乗り越えて、痛みも引いて、早くも新しい道を歩み始めたハマジムの男たちと松江監督のいじましい姿を見せるエンディングが最高でした。心が大きく動かされた。ところが、次に問題の『セックスと嘘とビデオテープとウソ』が来るんですよ。これを見た人がなんとなく口が重い理由が実物に接してみてわかった。これは感想がすごく言いにくい。『ハメ撮り』にも登場する大阪の彼女、それに「元カノ」、それと女友達が出てくる。家族も出てくる。犬もかわいい。しかし、ラストカットが途方もなく「いやなかんじ」なのである。俺、あの人は顔だけ別人連れてきたかと思ってたけど、トークショー聞いた感じだとどうも本人らしい。いや、それでもあんまり信用してないけど。
何の話してるかようわからんと思うので、以下、ネタばれとしてあからさまに書きます。未見の方は読まないでください。
要は「大阪の彼女がハメ撮りをさせてくれるけど、顔と声と私服は映さない」という約束が、ラストカットで無残に破られるの。その顔が凄い。「見てはいけないもの」を見てしまった感が強い、なんとも陰惨な表情なの。しかも監督へらへら笑ってるの。ヒドイ。最悪の人物が作りだした最悪の状況がそこに映し出されているわけだ。でも、その彼女は、それまでずっと裸体を晒してきたのに、その顔出しカットではおっぱいすら見せていない。だから、フェイクという解釈も成り立つんじゃないかと思うわけです。でも乳首がちらっと見えていた気もするし、ちょっと確信が持てない。
ネタばれ終わり。
ともかく、『ハメ撮り』の高揚感に冷や水を浴びせるような作品で、これは本当に感想を言いにくい。膿のような作品というか、ニンゲンの悪意ってものが生々しく出ているという意味では非常に興味深いんだけど、後味の悪さがけっこうのちのちまで後を引くので、単純に面白いって言い方が出来ない。そのなんともしれんダークな印象を胸に残したまま、深夜、帰路に着いたのでした。
希望としては、『カレーライスの女たち』『ハメ撮りの夜明け』『セックスと嘘とビデオテープとウソ』の三作を通しで見たいなということ。微笑ましい純愛と、それを捨て去らざるをえない生き方の分水嶺と、その道を歩んでいるさなかにふっと零れ落ちてしまった悪意。その変遷には、男が大人になっていく上で経験する、普遍的な何かが隠されているような気がする。
またもや阿佐ヶ谷ロフトAで。前回のガンダーラ映画祭で見逃していた『セックスと嘘と〜』を見るのが目的。だがその前編的性格を持つ『ハメ撮りの夜明け〜完結編』がめちゃくちゃ良かったのだった。
AV監督のカンパニー松尾が、V&Rをやめてハマジムを立ち上げる過程を描いたのが、カンパニー松尾自身の監督作『ハメ撮りの夜明け』第一部・第二部らしい。で、三作目にして完結編となる本作は、立ち上がったばかりのハマジムの様子を松江監督がドキュメントした作品。2004年にCSで放映されたっきりで、ソフト化の予定もなしとのこと。貴重といえば貴重なんだけど、このままレア作品にしておくのはあまりにもったいないできばえだった。
……と、ここまできてハマジムって何?って方の疑問にお答えしましょう。
※18歳未満のよい子は見ちゃダメですよ!!!
http://www.hamajim.com/
……ご覧のとおり、AVメーカーでございます。以上。
ハマジムが立ちあがった時、WEBではいろんな論争が巻き起ったと記憶している。AV業界を革新する勢いだったハマジムの在り方をめぐって、何人かのライターさんが喧々諤々やりあっていた記憶がある。「AVとは何ぞや」みたいなかなり真面目な議題で。むかし俺が好きだった雑誌『ビデオ・ザ・ワールド』みたいだった。そういや筆者はその頃、ハマジムから出ている豊田道倫の音楽ドキュメント「映像集U」のレビューを「ロック画報」に書かせていただいたことがあって、一時期上記のサイトにもその文章が掲載されていたんですよ。ささやかな自慢。
さて、『ハメ撮りの夜明け〜完結編』は、現代版『人類学入門〜エロ事師たち』であり、新しい何ごとかをなそうとする男たちの熱い日々を追った「プロジェクトX」あるいは「ガイアの夜明け」であり、れっきとしたAVであり、同時にちょっぴり「痛み」を感じさせる青春セルフドキュメントでもあるのだ。ハマジム立ちあげのために集まった有志らはしばしば「俺たちはこういうことをやる」「俺たちはそうはしない」といった言葉を口にする。独立、起業、インディーズ魂、形容はなんでもいいけど、物作りにとりつかれた人々が「やってやろうじゃん!」と新しい何かを立ち上げていこうとする熱気が、松江監督のいつもながらの程良い被写体との距離感の中からムンムン漏れ伝わってくる。
やっとの思いで公式サイトを立ち上げて拍手が起きる場面とか、発売第一弾の商品が事務所に運び込まれて、堆く段ボール箱が積み上げられる場面とか、大手ビデオ販売店のラムタラからの注文を「商品管理が出来ないから」という口実を設けて断っちゃう場面とか、そのすべてに「何かが始まろうとしている」という清新な空気が張りつめていて、見ている方もわくわくしてくる。この「わくわく感」が最大の魅力。もうそれだけで最後まで押してもらってもいいくらいなんだけど、「AV」という名目で制作されているので、三人の女優さん(本当は四人だけどあえて三人ということにしておきたい)とカンパニー松尾の絡みも出てくる。
一人目は熊本の安い感じの素人のおねえちゃん。二人目は武田まこという単体女優。三人目が四条大橋子さんという、横浜生まれの京都の女子大生(上映後のトークショーで漫画家の渡辺ペコさんという方から、”彼女たちには言語が失われている”みたいな意見が出されたけど、四条大橋子さんは知性を感じさせる独特の言語を操っていたと思う)。絡みにもいろいろ個性があって面白いんだけど、何と言っても三人目の四条大橋子さんが、もうハメ撮りのために生まれてきたかのような最高のドMっぷりで、いちいち敬語使いながらアンアンとやられておるわけですよ。お尻とかベチーン! って叩かれながら。そら、こういう女性が嫌いな男ってあまりいないと思いますよ。
で、ハマジム創立後のてんやわんやや女優さんたちの絡みから、徐々に監督である松江哲明個人の問題へと視点が移されていくのだが、これあんまり書くと初見の人の面白みが半減するだろうから、あんまり書きたくない。たとえ見る機会があまりない作品だとしても。ただ少しだけ触れておくと、「ああー、『カレーライスの女たち』の時のあの子が……そうか……」とすごく痛ましい気持になるエピソードが出てくるのですよ。
「面白い人と出会ったとき、その気持ちにブレーキをかけたくない」って監督のテロップが出てくるんだけど、ブレーキをかけないことで、確実に傷つく人間が存在し、確実に失ってしまうものがある。それは「ハメ撮り監督」になるための通過儀礼であり、同時に、「大人の男」になるために乗り越えなきゃいけない「何か」なのだ。それはもう童貞を捨てるかどうかなんてレベルの話じゃない。まさに「生き方」の問題。自分の欲求を貫くためにどれだけ愛する人を傷つけることができるかって話。この「ブレーキ」って言葉、すごくわかる気がする。
だから『ハメ撮りの夜明け』を見る時は、『カレーライスの女たち』を先に見たほうが絶対にいいと思います。『ハメ撮り』に登場する「5年付き合った彼女」の意味合いが全然違うから。手を繋ぎ合うシーンの意味合いが全然違ってくるから。俺思わず女目線で「ひどいっ!」とか思っちゃったもん。きっと煩悶もドロドロもたくさんあったはずなんだけど、それが実にさらっと描かれる。このクールな感覚はやはり稀有だなと。
ちなみに『セックスと嘘とビデオテープとウソ』は、『ハメ撮り〜』の続編。そこでも『カレーライスの女たち』の女性との「その後」が描かれる。いやもうはっきり書いちゃうけど、この三本の作品の中で、「カノジョ」は「元カノ」になるの。だから俺はこれらの作品群は影の主役である「元カノ」の三部作だと勝手に思った。
私生活という舞台裏そのものが作品の底流にある連作ドキュメンタリーの場合(セルフドキュメンタリーはしばしばそういう形をとる)、それは「監督個人の歴史」あるいは「元カノの歴史」という物語込みで接せざるを得ない。むろん、それですら監督個人の意図や外部からの要請に基づいて編集された商品でありフィクションにすぎない。でも一人の監督のセルフドキュメンタリーの連作を見るって行為は、その監督の人生に客としてつきあっていく行為としか言えないんじゃないか、なんてことも思った。さらに言うと、あのブログや松江監督個人の発言その他を一切合財ないことにして、一本の作品そのものに厳粛な独立性を求めるなんてことは俺には無理だ。作品ですら一つのコマに過ぎないという、そういう鑑賞方法があっていいと強く思った。だって客をそう仕向ける作品であり方法論なんだもん。
話が右往左往しておりますが、諸々のドラマを乗り越えて、痛みも引いて、早くも新しい道を歩み始めたハマジムの男たちと松江監督のいじましい姿を見せるエンディングが最高でした。心が大きく動かされた。ところが、次に問題の『セックスと嘘とビデオテープとウソ』が来るんですよ。これを見た人がなんとなく口が重い理由が実物に接してみてわかった。これは感想がすごく言いにくい。『ハメ撮り』にも登場する大阪の彼女、それに「元カノ」、それと女友達が出てくる。家族も出てくる。犬もかわいい。しかし、ラストカットが途方もなく「いやなかんじ」なのである。俺、あの人は顔だけ別人連れてきたかと思ってたけど、トークショー聞いた感じだとどうも本人らしい。いや、それでもあんまり信用してないけど。
何の話してるかようわからんと思うので、以下、ネタばれとしてあからさまに書きます。未見の方は読まないでください。
要は「大阪の彼女がハメ撮りをさせてくれるけど、顔と声と私服は映さない」という約束が、ラストカットで無残に破られるの。その顔が凄い。「見てはいけないもの」を見てしまった感が強い、なんとも陰惨な表情なの。しかも監督へらへら笑ってるの。ヒドイ。最悪の人物が作りだした最悪の状況がそこに映し出されているわけだ。でも、その彼女は、それまでずっと裸体を晒してきたのに、その顔出しカットではおっぱいすら見せていない。だから、フェイクという解釈も成り立つんじゃないかと思うわけです。でも乳首がちらっと見えていた気もするし、ちょっと確信が持てない。
ネタばれ終わり。
ともかく、『ハメ撮り』の高揚感に冷や水を浴びせるような作品で、これは本当に感想を言いにくい。膿のような作品というか、ニンゲンの悪意ってものが生々しく出ているという意味では非常に興味深いんだけど、後味の悪さがけっこうのちのちまで後を引くので、単純に面白いって言い方が出来ない。そのなんともしれんダークな印象を胸に残したまま、深夜、帰路に着いたのでした。
希望としては、『カレーライスの女たち』『ハメ撮りの夜明け』『セックスと嘘とビデオテープとウソ』の三作を通しで見たいなということ。微笑ましい純愛と、それを捨て去らざるをえない生き方の分水嶺と、その道を歩んでいるさなかにふっと零れ落ちてしまった悪意。その変遷には、男が大人になっていく上で経験する、普遍的な何かが隠されているような気がする。
2008年07月12日
『紀子の食卓』(園子温監督)
打ち合わせ二連発に疲れて、深夜、久々に『紀子の食卓』(園子温監督)見直す。ぶったまげた。初めて見た時も圧倒されて暫し口がきけなかったけど、今回も全く同じ。流しに疑似家族四人が集まって、つぐみのアイデンティティが崩壊し、吉高由里子の絶叫があって、「その先」へと一気に物語の位相を越えていくあたりから思考停止。そして終章、すき焼きを囲む家族という平凡そのもののような光景の奥底に、狂気と恐怖と希望がぎっしり敷き詰められている。これほど重層的に編まれた日本映画ってゼロ年代に入ってからは他に見たことがない。しかも客の姑息な解釈なんて一切求めてない。全方位に向けてとんがってる。饒舌な複数のナレーションの言葉の一つ一つは、磨き抜かれた美しい響きのものばかり。まさに詩。一瞬たりとも弛むことのない流麗な編集と、俳優の最良の演技を引き出す粘り強い演出。映画全体の堂々たる風格。大傑作だと改めて感じ入った。
2008年07月11日
SPOTTED701一周年記念イベント
阿佐ヶ谷ロフトAでSPOTTED701一周年記念イベント。大橋裕之さんが持ってきた、童貞2号氏を主人公とした「おぐり殺す」という紙芝居に爆笑。「おぐり殺す」って文字面だけで笑える。おぐりって誰? 俺の山田優を奪ったヤツ。『クローズZERO』、めちゃくちゃ面白かったけど、山田孝之のほうがおぐりより断然良かったんだからね! あの万引きヤローめ。ま、それはともかく、才能ある人っているんだなぁ。下品な世界を扱いながらも小粋にまとめるドラマ作りに感嘆した。
他に、松江監督の新作『あんにょん由美香』の、使用するかどうかさえ未確定の映像も感慨深いものが。そういやナヲイさんと初めて会ったのって、書籍『女優・林由美香』の時だった。あといまおか監督の映画にいくつか楽曲を提供しているビトさんのライブが良かった。「かえるのうた」の主題曲を最初にやった瞬間、じわっとこみあげた。分厚くて腹の底にまで響く声量と、癖のある独自の節回し。たった数行の歌詞と声、ギター一本だけの力。唸る。
会場は立ち見。わずか一周年でこんだけのお客さんを集められるのが凄い。それに若くてきれいな女優さんが檀上にも客席にもいるのが良かったなぁ。通路で平沢里菜子とすれちがったとき、髪の毛が肘に触れた。ああん、感激。アホや。
映画時代のほうも続々と着々と次号の準備が進んでおります。うまくいくときは良い偶然がいくつも重なる。ないのは金だけですよ、アッハッハッハ。
他に、松江監督の新作『あんにょん由美香』の、使用するかどうかさえ未確定の映像も感慨深いものが。そういやナヲイさんと初めて会ったのって、書籍『女優・林由美香』の時だった。あといまおか監督の映画にいくつか楽曲を提供しているビトさんのライブが良かった。「かえるのうた」の主題曲を最初にやった瞬間、じわっとこみあげた。分厚くて腹の底にまで響く声量と、癖のある独自の節回し。たった数行の歌詞と声、ギター一本だけの力。唸る。
会場は立ち見。わずか一周年でこんだけのお客さんを集められるのが凄い。それに若くてきれいな女優さんが檀上にも客席にもいるのが良かったなぁ。通路で平沢里菜子とすれちがったとき、髪の毛が肘に触れた。ああん、感激。アホや。
映画時代のほうも続々と着々と次号の準備が進んでおります。うまくいくときは良い偶然がいくつも重なる。ないのは金だけですよ、アッハッハッハ。
2008年07月10日
深夜の告白
映画見てぇ。いっぱい見てぇ。新宿国際劇場で半日くらいだらだらくつろぎてぇ。でも無理。泣きそう。貧窮し、母親に「お米送って!」とメールしたら、「バーガ!」と返された34歳の私です。そのくせ翌日「野菜おくったよ!」と絵文字を多用したメールをよこすツンデレな母です。……いや、あの、お米。
持っていた『深夜の告白』見直す。これまで三回見て、「よくできてるよなぁ」くらいに思っていたが、ごめん、大傑作だったことに今頃気づいた。なんですかこの全シークエンス、全シーンにピンと張りつめたサスペンスは。一難去ってまた一難の連続。それを綱渡り的に見事に乗り越えていく主人公。ところがエドワード・G・ロビンソンという”杉下右京”を同僚に持ってしまったがゆえに……ああん。こいつが出てくるたびにハラハラドキドキしっぱなし。また余計な時に必ず現れるんだなぁ、このおっさん。で、どこからか気づいてるわけですよ、犯人が主人公であることに。でもそのそぶりを一切見せないの。キレ者は怖い。何度見てもバーバラ・スタンウィックに一片の魅力も感じられないのは趣味の問題でしょうか。あの髪形は冗談としか思えん。山本モナのほうがずっといいですよ。
持っていた『深夜の告白』見直す。これまで三回見て、「よくできてるよなぁ」くらいに思っていたが、ごめん、大傑作だったことに今頃気づいた。なんですかこの全シークエンス、全シーンにピンと張りつめたサスペンスは。一難去ってまた一難の連続。それを綱渡り的に見事に乗り越えていく主人公。ところがエドワード・G・ロビンソンという”杉下右京”を同僚に持ってしまったがゆえに……ああん。こいつが出てくるたびにハラハラドキドキしっぱなし。また余計な時に必ず現れるんだなぁ、このおっさん。で、どこからか気づいてるわけですよ、犯人が主人公であることに。でもそのそぶりを一切見せないの。キレ者は怖い。何度見てもバーバラ・スタンウィックに一片の魅力も感じられないのは趣味の問題でしょうか。あの髪形は冗談としか思えん。山本モナのほうがずっといいですよ。
2008年07月06日
ジャガイモ
家と図書館ををただただ往復する毎日。貯金とかいうものは数年来無い。先週からはコーヒー代にも事欠く始末で、喫茶店通いもやめた。一年のうち半分以上が今日のような貧乏暮らしなので、もはやこれといって惨めな気持ちにはならない。ただ、新作映画を見に行けず、書籍の新刊を買えないことに対しては悔しさと忸怩たる思いが募る。かき集めてきた資料に逃げるように没頭する。むしろカビ臭いページを黙々とめくる時間のほうが貴重かもしれないとさえ思えてくる。イエスの「種をまく人」の喩じゃないけど、根がない者にまかれた種はたいして育ちやしないのだ。
ありがたいのは実家から段ボールひと箱分のジャガイモと玉ねぎが送られてきたこと。毎日ジャガイモばかり喰ってる。薄くスライスしてオーブンでチンし、玉ねぎやキャベツや冷凍保存してある豚肉と一緒に和風だしで炒める。言っちゃえば肉じゃがなんで、これだけでも十分おかずになるが、安売りのソーメンやひやむぎやパスタらと和えてもいける。麺の種類によって、ニンニク、ショウガ、バターと調味料も使い分けるわけだ。これだと米がいらないし、調理にたいして時間もかからない。腹もちもいい。先週までやたらと深夜のおにぎり作りに励んでいたが、今はジャガイモに恋い焦がれている。
出費をおさえるにはタバコをやめられればなお良いが、これは猫や妄想と並ぶ数少ない慰みであり、なかなか手を切られずにいる。先夜、さる集まりに顔を出したが、八人の出席者のうち喫煙者は筆者だけだった。誰も顔には出さぬが無言で「マナー違反」と指弾されているようでひとり肩身が狭かった。巷間で取りざたされるように一箱1000円になれば無条件降伏で断煙するだろうが、酒と煙草にのみそんな暴虐が許されるというのは理屈に合わない。嗜好品イジメだ。
先ごろ、阪神の金本が試合中にベンチでスパスパ喫煙している場面が中継カメラに映し出されてしまい、ネット上ですっかり「ヤニキ」呼ばわりされているのが可笑しかったが、ふだんは憎たらしいスラッガーである彼への好感度が少しだけ上がったのも事実なのだった。今年は阪神だなぁ。
ありがたいのは実家から段ボールひと箱分のジャガイモと玉ねぎが送られてきたこと。毎日ジャガイモばかり喰ってる。薄くスライスしてオーブンでチンし、玉ねぎやキャベツや冷凍保存してある豚肉と一緒に和風だしで炒める。言っちゃえば肉じゃがなんで、これだけでも十分おかずになるが、安売りのソーメンやひやむぎやパスタらと和えてもいける。麺の種類によって、ニンニク、ショウガ、バターと調味料も使い分けるわけだ。これだと米がいらないし、調理にたいして時間もかからない。腹もちもいい。先週までやたらと深夜のおにぎり作りに励んでいたが、今はジャガイモに恋い焦がれている。
出費をおさえるにはタバコをやめられればなお良いが、これは猫や妄想と並ぶ数少ない慰みであり、なかなか手を切られずにいる。先夜、さる集まりに顔を出したが、八人の出席者のうち喫煙者は筆者だけだった。誰も顔には出さぬが無言で「マナー違反」と指弾されているようでひとり肩身が狭かった。巷間で取りざたされるように一箱1000円になれば無条件降伏で断煙するだろうが、酒と煙草にのみそんな暴虐が許されるというのは理屈に合わない。嗜好品イジメだ。
先ごろ、阪神の金本が試合中にベンチでスパスパ喫煙している場面が中継カメラに映し出されてしまい、ネット上ですっかり「ヤニキ」呼ばわりされているのが可笑しかったが、ふだんは憎たらしいスラッガーである彼への好感度が少しだけ上がったのも事実なのだった。今年は阪神だなぁ。
2008年07月05日
『ホット・ファズ』(エドガー・ライト監督)
『ホット・ファズ』、いよいよ今日から公開です。
http://hotfuzz.gyao.jp/
http://d.hatena.ne.jp/HotFuzz/
よく考えたらおいらの感想書いてなかったな。まあ、このそうそうたるメンツのコメント一覧を見ての通り(ついには荒井晴彦御大まで…)、
http://intro.ne.jp/contents/2007/11/27_1818.html
面白い映画なんだけれども、いわゆる「爆笑ムービー」、たとえば『裸のガンを持つ男』とか『オースティン・パワーズ』的なノリを期待すると、全然違うものを見ることになると思います。爆笑ポイントは確かにいくつかあるんだけど、大向こうを狙った即物的な笑いは割と少ない。むしろ一つの笑いを生みだすに至る劇の組み立て方や、その笑いが内包する多様な意味(たとえば監督の前作『ショーン・オブ・ザ・デッド』のラスト、ソンビになって尚、テレビゲームをし続けている労働者階級の男、というシーンが単に「友情万歳」と言っているわけでないことは一目瞭然)、そういったものにひたすら目を奪われる。時間をかけてシナリオを練ったことが伝わるし、その粘り強い姿勢を味わうことがこの映画の醍醐味だと個人的には思っています。俺は見終わって最初に出た感想が「うわ、よくできてるなぁ……」でしたもん。
あと、けっこう強烈にイギリス映画です。一朝一夕に築かれたものじゃない保守的な階級社会の閉塞感がどうしようもなく滲み出ている。伝統という病理を抱え込んだイギリス地方都市の暗部がえげつなく戯画的に抉り出されている。主役はエリート警察官だけど、行き着く先は、アラン・シリトーやセックス・ピストルズを産んだ国ならではの、怒れる若者たちによる抵抗と破壊。それが非常に気持ちいい。そこまでの筋の運びが実に実に丁寧で、ぼーっと見てたら見のがしちゃうような伏線が網の目のように張り巡らされている。あとはミステリー映画としての揺るぎないプロット、途轍もなくスピーディな編集、思わぬカメオ出演陣(でもこれは説明されないいとほとんどわからない)、そしてティモシー・ダルトンがキャリア史上最高の演技を見せている。ま、この辺り↓にわたなべさんがつぶさに書いてありますよ。
http://intro.ne.jp/contents/hotfuzz.html
今回のweb上での署名活動に関しては、いろんな人にいろいろ言われたりもしたし、俺も俺なりに思うところはある。でもねえ、たとえばTBをくださったこのサイト↓に今回の運動の模様が簡潔にまとめられてるんだけど、
http://white-screen.jp/2008/06/post_118.php
チラシ配ったり、各方面と時間かけて折衝を重ねたり、あるいは応援サイトに膨大な数のコメントをもらってくるにしても、メール書いたりDVD発送したり、それ以前にそれだけの人間関係を構築したり、傍から見てても死ぬほど大変なんですよ。いや大変だからエライってわけじゃないよ。ただ、ハスミンにしても佐藤忠男にしても松田政男なんかにしても、最近でいえばナヲイさんなんかにしても、映画の状況を変革するためにきちんと体を張ってリスク背負ってカツドウしてきたわけじゃん。映画祭やったりフィルム発掘したり海外に日本映画売りこんだりしてさ。ただ机に座ってグジグジとエラソーなことをのたまっていたわけじゃない。もちろんそこには打算がある。でもその打算は許される。というか、打算がないほうがオトナ的には信用できない。で、そういう人たちの言葉は説得力と重み、生命ってやつが宿っていると思うわけですよ。好き嫌いはあっても。今回そういうことがはっきりわかった気がする。
そうだ、先日亡くなった水野晴郎が最期に見た映画であることも付記しておきたい。
http://hotfuzz.gyao.jp/
http://d.hatena.ne.jp/HotFuzz/
よく考えたらおいらの感想書いてなかったな。まあ、このそうそうたるメンツのコメント一覧を見ての通り(ついには荒井晴彦御大まで…)、
http://intro.ne.jp/contents/2007/11/27_1818.html
面白い映画なんだけれども、いわゆる「爆笑ムービー」、たとえば『裸のガンを持つ男』とか『オースティン・パワーズ』的なノリを期待すると、全然違うものを見ることになると思います。爆笑ポイントは確かにいくつかあるんだけど、大向こうを狙った即物的な笑いは割と少ない。むしろ一つの笑いを生みだすに至る劇の組み立て方や、その笑いが内包する多様な意味(たとえば監督の前作『ショーン・オブ・ザ・デッド』のラスト、ソンビになって尚、テレビゲームをし続けている労働者階級の男、というシーンが単に「友情万歳」と言っているわけでないことは一目瞭然)、そういったものにひたすら目を奪われる。時間をかけてシナリオを練ったことが伝わるし、その粘り強い姿勢を味わうことがこの映画の醍醐味だと個人的には思っています。俺は見終わって最初に出た感想が「うわ、よくできてるなぁ……」でしたもん。
あと、けっこう強烈にイギリス映画です。一朝一夕に築かれたものじゃない保守的な階級社会の閉塞感がどうしようもなく滲み出ている。伝統という病理を抱え込んだイギリス地方都市の暗部がえげつなく戯画的に抉り出されている。主役はエリート警察官だけど、行き着く先は、アラン・シリトーやセックス・ピストルズを産んだ国ならではの、怒れる若者たちによる抵抗と破壊。それが非常に気持ちいい。そこまでの筋の運びが実に実に丁寧で、ぼーっと見てたら見のがしちゃうような伏線が網の目のように張り巡らされている。あとはミステリー映画としての揺るぎないプロット、途轍もなくスピーディな編集、思わぬカメオ出演陣(でもこれは説明されないいとほとんどわからない)、そしてティモシー・ダルトンがキャリア史上最高の演技を見せている。ま、この辺り↓にわたなべさんがつぶさに書いてありますよ。
http://intro.ne.jp/contents/hotfuzz.html
今回のweb上での署名活動に関しては、いろんな人にいろいろ言われたりもしたし、俺も俺なりに思うところはある。でもねえ、たとえばTBをくださったこのサイト↓に今回の運動の模様が簡潔にまとめられてるんだけど、
http://white-screen.jp/2008/06/post_118.php
チラシ配ったり、各方面と時間かけて折衝を重ねたり、あるいは応援サイトに膨大な数のコメントをもらってくるにしても、メール書いたりDVD発送したり、それ以前にそれだけの人間関係を構築したり、傍から見てても死ぬほど大変なんですよ。いや大変だからエライってわけじゃないよ。ただ、ハスミンにしても佐藤忠男にしても松田政男なんかにしても、最近でいえばナヲイさんなんかにしても、映画の状況を変革するためにきちんと体を張ってリスク背負ってカツドウしてきたわけじゃん。映画祭やったりフィルム発掘したり海外に日本映画売りこんだりしてさ。ただ机に座ってグジグジとエラソーなことをのたまっていたわけじゃない。もちろんそこには打算がある。でもその打算は許される。というか、打算がないほうがオトナ的には信用できない。で、そういう人たちの言葉は説得力と重み、生命ってやつが宿っていると思うわけですよ。好き嫌いはあっても。今回そういうことがはっきりわかった気がする。
そうだ、先日亡くなった水野晴郎が最期に見た映画であることも付記しておきたい。
2008年07月03日
出口なし
アホみたいにプロット書きまくった後は、連日、殺戮の歴史のお勉強に没頭しております。歴史上のテロリズムについて学べば学ぶほど、「秋葉原の加藤、最悪につまんないよお前は!」と叱責したい衝動に駆られるわけですが、それはこの現代社会の最悪なつまらなさを意味し、そんな社会の構成員である自分自身の最悪のつまらなさに跳ね返ってくるわけです。我が身を振り返ってみても、自分は自分にとって都合のよい生き方しかしてこなかったし、そういう立場や生活や職業を選んできたし、それを維持あるいは発展させることに汲々としている。自分の行路にブレーキというものをかけた記憶もない(逃げたことは何度もある)。にもかかわらず救いがたくパッとしない。呼応するかの如く、社会もなんだかパッとしない。全世界がパッとしない。自分のダメさ加減と社会の底辺とが融解しているような錯覚さえ覚える。いや錯覚じゃなく、きっと融解している。セカイ系? いやよくわからんけど、じゃあ自分が輝かしくあれば社会も輝くかと言ったらまったくそんなことはない。自分と社会のネガティブな感情同士が、分離された水銀のようにお互いを求めあってヌルヌルと地を這いずり回っている。なんなんだこれはと思うわけですよ。
すごい卑近な話をすると、こないだある大きな会社のためにプロットを書いたわけです。これまで出会ったこともないくらい大きい会社。そしたら相手に「発注書書きます」って言われたの。俺もう「凄い!」と思って、胸がジーンとしてしまった。プロット書いてお金がもらえるということに感激してしまったわけです。それなりの会社を相手に仕事をしている方や、フツーに活躍してるライターにとってはごく当たり前のことなんだろうけど、俺はびっくりしてしまった。プロットなんてタダで書くもんだと思っていたから。そしてこの程度のやり取りにジーンとしている自分があまりにも憐れで、さらにジーンとしてしまった。34歳ですよ。これまで俺は何をしてきたんだと。資本がでかけりゃそれなりの信用ある取引をするという、ごく当たり前のことに直面してショックを受けてる自分。これは痛烈だった。
で、よくよく聞くと、その仕事を紹介して下さった方が、前もって担当者においらがこれまで食らってきた酷い仕打ちをいろいろ説明しててくれてたらしい。そこで思い出したのが、「酷い仕打ち」をしやがった別の会社でもきちんとプロット料金をもらったことはあるわけですよ。でもそれは俺の中ですっかりないことになってた。怒り、憎しみ、恨みといったネガティブな感情しか残ってなかった。坊主憎けりゃ袈裟まで……という喩はあんまり適切じゃないですが、ともかく憎しみの対象としてしか記憶されてないために、その会社が行っていたそれなりに常識的な取引すら忘却せしめられていたという……。
これは怖いなと。記憶は感情によっていかようにも操作されてる。詐術を使う。相手を無意識のうちに実体以上の悪辣な存在に塗り替えてしまっている。思いのほか、感情に支配されつくしている。でもそういうことに気づくのは、こういうまっとうな会社に出会ったときだけなんですよ。派遣やワーキングプアの問題と通じるかどうかわかんないけど、底辺の会社だろうがなんだろうがまっとうであれと。底辺とインディペンデントとは違うんですよ。心意気さえあれば実は賃金の問題ってたいしたことじゃない。だからちょうど今書いてる別の小さな会社のプロットは、好き好んで面白がって書いてるし、最初っからお金がないことを了解済みで書いてる。問題は心意気もないくせにチマチマした駄弁を弄し、いかにライターを安上がりに使うかに心を砕いてるような連中。こういうのはもう犯罪者養成機関ですよ。社会倫理と言うより個人の倫理の問題としか言いようがない。
……って朝の六時半に俺は何を怒ってるんだと思いますが、別に最近そういう会社にあたったわけでなく、過去の話です。テロリストたちの話読んでると、ついそういう自分の小さな経験に照らし合わせてしまって。もちろんこの程度のことで誰かを殺そうなんて思わないけど、塵も積もれば山となり、ちょっとしたきっかけで途方もない凶事を生みだすということは、誰もが認識しておくべきかと。俺だって誰に恨まれてるかわかったもんじゃないし。じゃあ「まっとう」な、あるいは「まっとう」に見える(さしあたり見えりゃぁいいんだと思うよ)個人の倫理の生成に必要なものって何なんだろうと思うんだけど、なんだろうなぁ……ということが、結局社会倫理の問題につながっているのかもしれないという……。出口なし。
で、話変わって……変わりすぎだけど、見事に阪神から3タテ食らってしまいましたな。ゲーム差は9.5。川相コーチがブログでブチ切れるほど、ビョン様の怠慢プレーはここ数日目立ったわけですが、ウッズ、荒木らのエラーもちょっとキツイなと。和田、デラロサの奮闘はポイント高いけど、ノリさんのバットが湿りがち。藤川球児だって去年ほどの威圧感はなく(それ言ったら岩瀬も上原もかなり苦しいけど)、実際9回表に出塁して反撃のチャンスは作るのに、結局点は取れずじまい。この三連戦で反撃の狼煙を……と思っていたら逆に勢いづかせてしまったという。さしあたり尻に喰いついてくる明日からの読売との三連戦での活躍を期待したいところです。やはり森野の不在がイタイのかなぁ。森野と井端を欠くだけでなんか別のチームみたいだもんなぁ……。
すごい卑近な話をすると、こないだある大きな会社のためにプロットを書いたわけです。これまで出会ったこともないくらい大きい会社。そしたら相手に「発注書書きます」って言われたの。俺もう「凄い!」と思って、胸がジーンとしてしまった。プロット書いてお金がもらえるということに感激してしまったわけです。それなりの会社を相手に仕事をしている方や、フツーに活躍してるライターにとってはごく当たり前のことなんだろうけど、俺はびっくりしてしまった。プロットなんてタダで書くもんだと思っていたから。そしてこの程度のやり取りにジーンとしている自分があまりにも憐れで、さらにジーンとしてしまった。34歳ですよ。これまで俺は何をしてきたんだと。資本がでかけりゃそれなりの信用ある取引をするという、ごく当たり前のことに直面してショックを受けてる自分。これは痛烈だった。
で、よくよく聞くと、その仕事を紹介して下さった方が、前もって担当者においらがこれまで食らってきた酷い仕打ちをいろいろ説明しててくれてたらしい。そこで思い出したのが、「酷い仕打ち」をしやがった別の会社でもきちんとプロット料金をもらったことはあるわけですよ。でもそれは俺の中ですっかりないことになってた。怒り、憎しみ、恨みといったネガティブな感情しか残ってなかった。坊主憎けりゃ袈裟まで……という喩はあんまり適切じゃないですが、ともかく憎しみの対象としてしか記憶されてないために、その会社が行っていたそれなりに常識的な取引すら忘却せしめられていたという……。
これは怖いなと。記憶は感情によっていかようにも操作されてる。詐術を使う。相手を無意識のうちに実体以上の悪辣な存在に塗り替えてしまっている。思いのほか、感情に支配されつくしている。でもそういうことに気づくのは、こういうまっとうな会社に出会ったときだけなんですよ。派遣やワーキングプアの問題と通じるかどうかわかんないけど、底辺の会社だろうがなんだろうがまっとうであれと。底辺とインディペンデントとは違うんですよ。心意気さえあれば実は賃金の問題ってたいしたことじゃない。だからちょうど今書いてる別の小さな会社のプロットは、好き好んで面白がって書いてるし、最初っからお金がないことを了解済みで書いてる。問題は心意気もないくせにチマチマした駄弁を弄し、いかにライターを安上がりに使うかに心を砕いてるような連中。こういうのはもう犯罪者養成機関ですよ。社会倫理と言うより個人の倫理の問題としか言いようがない。
……って朝の六時半に俺は何を怒ってるんだと思いますが、別に最近そういう会社にあたったわけでなく、過去の話です。テロリストたちの話読んでると、ついそういう自分の小さな経験に照らし合わせてしまって。もちろんこの程度のことで誰かを殺そうなんて思わないけど、塵も積もれば山となり、ちょっとしたきっかけで途方もない凶事を生みだすということは、誰もが認識しておくべきかと。俺だって誰に恨まれてるかわかったもんじゃないし。じゃあ「まっとう」な、あるいは「まっとう」に見える(さしあたり見えりゃぁいいんだと思うよ)個人の倫理の生成に必要なものって何なんだろうと思うんだけど、なんだろうなぁ……ということが、結局社会倫理の問題につながっているのかもしれないという……。出口なし。
で、話変わって……変わりすぎだけど、見事に阪神から3タテ食らってしまいましたな。ゲーム差は9.5。川相コーチがブログでブチ切れるほど、ビョン様の怠慢プレーはここ数日目立ったわけですが、ウッズ、荒木らのエラーもちょっとキツイなと。和田、デラロサの奮闘はポイント高いけど、ノリさんのバットが湿りがち。藤川球児だって去年ほどの威圧感はなく(それ言ったら岩瀬も上原もかなり苦しいけど)、実際9回表に出塁して反撃のチャンスは作るのに、結局点は取れずじまい。この三連戦で反撃の狼煙を……と思っていたら逆に勢いづかせてしまったという。さしあたり尻に喰いついてくる明日からの読売との三連戦での活躍を期待したいところです。やはり森野の不在がイタイのかなぁ。森野と井端を欠くだけでなんか別のチームみたいだもんなぁ……。
2008年07月01日
うちの子
ドン・ドラキュラではありません
自分ちの猫を紹介する時に「うちの子」呼ばわりする奴が大っきらいだったんだけど、今では平然と「うちの子はぁ〜」と言ってのける私です。うちの子はぁ〜超かわいくてぇ〜いつもぉ〜心を癒してくれますぅ。いいえ、決して怖くはありません。ホントです。性格が悪いわけでもありません。ひょうきんなだけです。だから写真に収まる際もわざわざ面白い顔を作ってくれるのです。決して本物が可愛くないからではありません。本当だよっ!
ただでさえ青息吐息なのに、本日からまた種々の品物が値上げで、スーパーとか行くと立ちくらみがする。暦の上では7月だが、本格的に寒々しい季節が到来したなと。サバイバルだなと。なのにうちの子はトイレの砂が汚ないと言っては鳴き、安売りのキャラットはまずいからモンプチか金缶よこせと言っては鳴く。猫のために金を稼がねばと仕事に励むと、今度は遊べと言って鳴きやがる。いったいどんだけワガママなんだ。なんて羨ましい生き方なんだ。


